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元祖 ~仙台 牛たん 発祥の店~

牛タン焼きは仙台が発祥地とされる。「味太助」の初代、佐野啓四郎(故)が昭和二十三年、仙台市中心部に牛タン焼きの専門店を開き、全国にその味を広めたことによる。

佐野啓四郎

牛タン焼きの生みの親、佐野啓四郎

佐野啓四郎は、山形県西里村(現河北町)の農家の二男として生まれた。東京で料理の修業をしていた二十代の頃(昭和十年頃)、フランス人のシェフからシチューなどに使う牛タンの味を教わり、日本人好みの味付けに工夫を重ねた。

「昭和十年頃だったかねぇ。東京で日本料理の修業をしている時に知り合ったコックが言うんだよ。牛の舌ほどうまいものはないってねぇ。まさか、と思って自分で焼いて食べてみたら、これが本当にいい味なんだ。」牛タン焼きの生みの親、佐野啓四郎は、初めて牛タンと出会った頃をこう振り返った。

佐野啓四郎は、戦時中は焼き鳥の屋台を引いたりして花巻市、白石市、宮城県柴田町などを転々。戦後間もなく仙台にやってきた。

開店当時は、物資不足の時代。材料が手に入らず、朝一番の汽車に乗って山形まで買い出しに行くことも多かった。物がなくても、牛タン一筋で店を続けていくというこだわりの表れである。

佐野啓四郎は、平成6年3月15日に他界したが、その後、長男の佐野和男(現店主)が「味太助」を引き継いでいる。

秘伝の技 ~筋入れに極意~

筋入れ

隠された“技”

牛の舌は大体ビール大瓶一本の大きさ。硬い皮を包丁でむいた後、ハムを切るように手のひら半分大にスライスしていく。

塩・コショウで味付け、一晩寝かせて炭火で焼けば出来上がり。作業は単純そうだが、噛むごとに口全体にジワーッと広がるあの風味を出すには隠れた“技”がある。

スライスした一枚一枚にお客さんが食べやすいように包丁で筋を入れるが、表面だけをそっと切り込むのがコツ。完全に切っては味が染み込まないのだ。

”技”はこの他にもある。牛タンを食べる時に振り掛ける唐がらし。下ごしらえに使う塩とこしょう。その混ぜる割合や量。「何十年やっても難しいよ。」と佐野啓四郎も言っていた。

テールスープ

とろけるようなテールスープ

あのとろけるようなテールスープも単純ではない。味付けや水とテールの割合は秘伝中の秘伝。その少しの差が微妙に味を左右する。

佐野啓四郎は、「お客さんに喜ばれる味を守るということは大変な事なんだ。毎日緊張していないとね。」と職人らしい難しさを見せていた。その意志を引き継いで、二代目佐野和男が仙台牛タンの元祖である「味太助」の伝統を守りつづけている。